本記事のアイキャッチ画像:「私も、介護で仕事を辞めました」壮絶なW介護を経験した看護師が、今だからこそ伝えたい“介護離職”の現実と後悔しないための選択肢

「私も介護で仕事を辞めました」看護師が語る介護離職の現実と乗り越え方

本記事のアイキャッチ画像:「私も、介護で仕事を辞めました」壮絶なW介護を経験した看護師が、今だからこそ伝えたい“介護離職”の現実と後悔しないための選択肢

「親の介護のために、今の仕事を続けるのはもう限界かもしれない…」

終わりの見えない介護と、迫り来る仕事の責任。

その狭間で、社会から自分だけが取り残されていくような焦りを感じていませんか。

もしあなたが今、そんな出口のないトンネルのなかで一人、光を探しているのなら、この記事はきっと、あなたの足元を照らす小さな灯火になるはずです。

介護と仕事の両立。

それは、現代社会に生きる私たちにとって、いつ自分事になってもおかしくない、切実で重い問題です。

多くの人が「仕事を辞めるしかないのか」という、正解のない問いを前に、眠れない夜を過ごし、日々心をすり減らしています。

今回お話を伺ったのは、看護師の弘美さん。

彼女は、介護現場で看護師として働くプロフェッショナルでありながら、ご自身のお母様(松澤のばあちゃん)と、ご主人の母親(カツさん)の「ダブル介護」のために、一度は仕事を辞めるという「介護離職」を経験された方です。

なぜ、介護や医療の専門家でさえ、仕事を辞めざるを得なかったのか。

そして、すべてを懸けて臨んだはずの介護生活で、彼女を待ち受けていたものとは何だったのか。

そのリアルな体験談には、あなたの未来を左右する、あまりにも重要なヒントが隠されています。

あなたのその悩み、決して他人事ではありません

総務省の調査によれば、介護や看護を理由に仕事を辞める人は年間約10万人にものぼります。

その数字の裏側には、10万通りの家族の物語と、言葉だけでは語り尽くせないほどの苦悩が存在します。

この記事では、弘美さんの真摯なインタビューを通して、介護離職の「理想」と「現実」、そして自分自身も大切にしながら、後悔しないための道筋を探っていきます。

【参考】総務省統計局ホームページ「令和4年就業構造基本調査の結果

今回のインタビュイー:壮絶なダブル介護経験者・弘美さん

ダブル介護と介護離職を経験した弘美さんの実物写真

本日お話を伺うのは、長年にわたり医療と高齢者介護の現場で活躍されてきた看護師の弘美さんです。

弘美さんは、実母様と義母様が相次いで介護を必要とする状態となり、ご自宅で2人を同時に介護する「ダブル介護」という過酷な状況に直面されました。

一度は介護に専念するために離職を余儀なくされましたが、その困難な経験を通して、仕事と介護の両立における本質的な課題を見つめ直し、同時に希望の光も見出されました。

専門職としての知識と経験を持ちながらも、実際に介護者の立場に立たれた弘美さんに、その貴重な体験談をお聞かせいただきます。

弘美さん、本日はどうぞよろしくお願いいたします。

【告白】なぜ、高齢者施設で働くプロでさえ仕事を辞めざるを得なかったのか

理想と現実

看護の知識も、実践的な技術も持っている。だから、きっと両立できるはず――。

そう信じていたプロとしての自負が、音を立てて崩れていく感覚。

看護師の弘美さんでさえ、なぜ仕事を辞めるという選択をしたのでしょうか。

その背景には、教科書には載っていない、想像を絶する現実がありました。

はじまりは突然に…実母と義母の「ダブル介護」

実の母(松澤のばあちゃん)と、義理の母(カツさん)の写真
左:実の母(松澤のばあちゃん)、右:義母(カツさん)のお写真

弘美さんの日常が大きく変わったのは、義母であるカツさんが骨折し、入院を余儀なくされたことがきっかけでした。

追い打ちをかけるように、ご自身のお母様である「松澤のばあちゃん」に、ステージの進んだ癌という病がみつかります。

お2人とも、もはや一人にしておくには危険な状態でした。

【弘美さん】

松澤のばあちゃんは、ずっと一人暮で生活していましたが、在宅酸素を使うようになりました。

まあ、一人じゃ危ないということで、それで一緒に生活(弘美さんの家で)することになって。

結果、カツさんと松澤のばあちゃんの2人を、1つの家でみることになったんですよね。

1つの屋根の下で、2つの命を同時に預かる。

こうして、弘美さんの「ダブル介護」という、先の見えない生活は静かに、しかし抗いがたく幕を開けたのです。

「仕事と両立できるはず」模索と限界の日々

当初、弘美さんは看護師の仕事を続けながら、介護と両立する道を必死に模索していました。

専門家としての知識を総動員し、可能な限りの工夫を凝らしたのです。

【弘美さん】

日中はカツさんをデイサービスに連れて行って、仕事をしていましたが……だけど。

日中はカツさんをデイサービスに預け、その間に仕事に向かう。

しかし、認知症の症状が日に日に進んでいくカツさんと、癌の闘病で心身ともに弱っていく松澤のばあちゃん。

お二人の状態は、弘美さんの立てた緻密な計画をいとも簡単に超えていきました。

頻繁にかかってくるデイサービスからの電話、予期せぬトラブル。

体力の限界と、精神の限界が、同時にやってきました。

「もう無理だ…」介護離職を決意した日

プロとして、知識も経験もある。

それでも、終わりの見えない24時間体制の緊張と、心休まる時間のない毎日は、少しずつ弘美さんのキャパシティを奪っていきました。

【弘美さん】

いよいよちょっとこれ、無理だなっていう風になって。それで仕事を辞めて。

淡々と、しかしその一言に万感の思いを込めて語られた、離職の瞬間。

それは、燃え尽きる寸前の、悲壮な決意でした。

看護師でさえ「無理だ」と白旗を揚げるほどの重圧。

それが、在宅での「ダブル介護」という現実だったのです。

【現実】介護離職の先に待っていた「3つの試練」

3つの試練を連想させるような、黒い重たそうな扉が3つ

仕事を辞め、24時間介護に専念すれば、少しは状況が好転するかもしれない。

そんな淡い期待は、離職届が受理された瞬間から、また別の厳しい現実に姿を変えました。

弘美さんを待っていたのは「介護離職」がもたらす、新たなる3つの試練でした。

試練1:社会からの孤立「『自分の名前』で呼ばれない生活」

仕事を辞めたことで、弘美さんは「看護師の弘美さん」という社会的な役割と繋がりを失いました。「誰かの妻」「誰かの母」そして、「介護する人」という役割だけが残り、自分の名前で呼ばれる機会が激減したのです。毎日向き合うのは、意思の疎通が難しい義母と、弱っていく母。仕事を続けるご主人との会話が、唯一の救いではありましたが、それ以外の大人と、当たり前の会話ができない日々が続きます。

【弘美さん】

会話のない生活で。

24時間、ひたすら介護だけでという状況は、もう、どうしようもないね。

自分の気持ちの「解放」が無いから。

職場での同僚との何気ない雑談、患者さんとの感謝の言葉を交わすやり取り。

そうした「仕事」という名の社会との接点が、知らず知らずのうちにどれほど自分を支えてくれていたか。

弘美さんは、すべてを失ってから、その価値に気付かされたのです。

試練2:「プロ」と「家族」の壁「知識が、感情の邪魔をする」

看護師として、数多くの患者さんを冷静に、そして的確にケアしてきた弘美さん。

しかし、血のつながった「家族」を介護する現実は、まったくの別物でした。

【弘美さん】

患者さんとか利用者の方っていうのは、ある意味仕事って自分で割り切って、それでその時間ずっと一緒にいるわけじゃないので。

…だけど、家族ってなると、すべて自分が関わってくるわけです。

食事から排泄、お風呂も全部。

さらに「こうすれば楽になるはず」という専門知識があるからこそ、思い通りにならない現実に苛立ちが募る。

愛情があるからこそ、感情的になってしまう自分を責める。

冷静な「プロ」の自分と、追い詰められる「娘・嫁」としての自分。

その終わりのない自己矛盾が、弘美さんを深く苦しめました。

試練3:終わりの見えない不安「お金と心が、同時に尽きていく」

仕事を辞めれば、当然ながら毎月の収入はゼロになります。

介護用品や医療費は容赦なくかさむ一方、一家を支えるご主人の収入と年金だけが頼りとなる状況。

そして何より辛かったのが、「この生活が、一体いつまで続くのか」という、終わりの見えない精神的な圧迫感だったと言います。

経済的な不安は、心の余裕を確実に奪います。

心の余裕がなくなると、優しくあるべき相手にさえ、優しくなれない。

そんな自己嫌悪が、さらに心を追い詰めていく。

まさに、負のスパイラルでした。

【提言】経験者だから語れる「介護離職で後悔しないための3つの鉄則」

弘美さんがソファーに座って真剣に話そうとされている姿

壮絶な介護離職を経験し、その暗闇の中から自力で這い上がってきた弘美さんだからこそ、その言葉には、机上の空論ではない確かな重みがあります。

「もし、あの日の自分に声をかけられるなら…」

そんな視点で、今まさに悩んでいる方々へ、心からの「3つの鉄則」を語ってくれました。

鉄則1:「仕事を辞める」は最後のカード。辞める前に“すべて”を使い倒す

「本当に、安易に仕事を辞めるという選択をしてほしくない」と弘美さんは、何度も繰り返しました。

辞めることは、いつでもできる。

その前に、使える制度やサービスをすべて利用し尽くすことが、自分と家族を守る最大の防御策になります。

【公的サービスを「手抜き」ではなく「戦略」と捉える】
地域包括支援センターやケアマネジャーに「もう限界です」と正直に、具体的に伝える勇気を持つこと。そこから、デイサービスやショートステイ(レスパイトケア)、訪問介護など、あなたの状況を劇的に改善するサービスが必ずみつかります。

【会社の制度は「権利」であると認識する】
介護休暇や時短勤務、時差出勤は、法律で定められた労働者の権利です。申し訳なく思う必要は一切ありません。諦める前に、まずは会社の就業規則を確認し、人事部や上司に堂々と相談しましょう。

鉄則2:一人で抱えない「介護チーム」を作る勇気

弘美さんには仕事を続けながら家庭を支えるご主人がいましたが、それでも介護は、決して一人で戦うものではありません。

介護する者が、たった1人で背負い込めば、必ず共倒れになります。

夫や妻、兄弟や親戚、友人・ご近所、そして専門家。

どんな人でもいい。

「助けて」と具体的に声を上げ、自分を中心とした「介護チーム」を作ることが何よりも大切です。

「同じ経験をしている人がいる場所で情報共有」することの価値を、弘美さんは強調します。

同じ痛みを知る人と「わかるよ、その気持ち」とわかち合うだけで、心は驚くほど軽くなるものです。

それは、孤独という最大の敵に対する、最も有効な武器になるといっていいでしょう。

鉄則3:もし離職を選んだなら「社会とのつながり」を死守する

それでも、どうしても離職せざるを得ない局面もあるでしょう。

その時に最も大切なのは「『介護者』以外の自分の居場所を、意識的に確保すること」だと弘美さんは言います。

【弘美さん】

家に頼れる人がいなくても、誰か聞いてくれる人が外に一人でもいれば、電話で話もできるし、会ってコーヒーでも一杯飲みながら話したり…それだけでも気持ちが違うと思うんです。

週に数時間でも、近所でパートをする。

地域のボランティアに参加する。

オンラインの介護者の会に顔を出す。

どんな形でもいいのです。

介護という役割から完全に離れ「自分」という個人に戻れる時間を持つこと。

それが、自分自身の心を壊さないための、なくてはならない命綱です。

あなたの人生も、親の人生も、どちらも大切にしていい

薄暗い部屋のドアの先には明るい景色が広がっている

インタビューの最後に、弘美さんは穏やかな、しかし芯の通った力強い表情で、私に次のことを語りかけてくれました。

【弘美さんから、今まさに悩んでいるあなたへのメッセージ】

仕事を辞めるという選択が、悪いわけではありません。

私も、そうせざるを得ませんでしたから。

でも、知っておいてほしいんです。

辞めたからといって「決して楽園が待っているわけではない」という現実。

だからこそ「使えるものはすべて使って、頼れる人にはすべて頼ってほしい」

介護を理由に、自分の人生を犠牲にしないでください。

あなたがあなたらしく笑って暮らすことが、結局は、あなたの大切なご家族にとっても、一番の幸せになるんです。

あなたの人生も、親の人生も、どちらも同じように大切にしていいんです。

 

取材まとめ

私たちは、つい「正解」を探してしまいます。
仕事と介護、どちらを取るのが正しいのか。
どうすれば後悔しないのか。
しかし、弘美さんのストーリーは、その問い自体が私たちを縛り付けているのかもしれないと教えてくれました。
彼女がダブル介護の暗闇のなかで見つけたのは、唯一無二の正解ではなく、自分と家族にとっての「最善」を、その都度選び取っていくという、しなやかな覚悟でした。
弘美さんのように、語られることの少ない声が、日本中にあと10万通り、存在します。

あなたの声も、そのひとつです。

あなたのストーリーが、いつか、どこかで。

同じように悩む誰かの心を、そっと照らす灯火になるかもしれません。

どうか、あなた自身の物語が、未来をやさしく照らす希望となりますように。

(インタビュアー:小口シュウイチ)
弘美さんの家族の集合写真。(一番左:カツさん・次にご主人・次に松澤のばあちゃん・一番右が弘美さん)
弘美さんの家族写真。(一番左:カツさん、左から2番目:ご主人、右から2番目:松澤のばあちゃん、一番右:弘美さん)
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